渋沢栄一さんの印刷された新一万円札が、令和3年の9月に印刷開始されました。
3年後の発行に向けて制作中だそうです。
それまでに渋沢栄一さんがどんな人物であったかくらいは知っておきたいですね。
新一万円札についてお子さんに聞かれたときに、説明できたいですものね。
渋沢栄一さんの知るための本
渋沢栄一さんの思想は、教育的にももちろん良い思想です。
お子さんと一緒に本を読んで語り合うのもいいかもしれません。
お子様にも知って欲しい思想ですが、ちょっと難しいかもしれません。
そこで、小学館から発売されている「まんが人物館」など、マンガの読み物はどうでしょうか。
マンガによる本は、他にもあります、「漫画でざっくりわかる 渋沢栄一」もそのひとつです。
時代背景がなかなか難しいというか、捉えにくい部分があります。
でもマンガなら、わかりやすく絵から読み取れる文化的な時代背景などもありますから、とても良い学習にはなると思います。
また、渋沢栄一さんの本としては、「論語と算盤」が有名です。
これを子供向けに言葉をかみ砕いて翻訳したのが「こども論語と算盤 / お金と生き方の大切なことがわかる!」です。
仕事をするための心構えや人から尊敬する仕事をするためにはどうしたらいいかが書かれています。
渋沢栄一さんの歴史
渋沢栄一さんは、開国から昭和初期まで、日本の経済を支え、未来の礎を築いた人です。
男三人の兄弟でしたが、兄二人が死別し、渋沢家では長男として育てられました。
渋沢家は裕福な農業と商業を営む家で、畑作や養蚕、そして商売もやっていました。
渋沢栄一さんはそういう実家の商売を助けるため、手伝いをしていました。
その経験が後の経済感覚へとつながっているのでしょう。
また、父親の方針で、7歳までに多くの教養を身につけて、従兄弟のもとで「論語」を学びました。
当時の日本は鎖国状態でしたが、ペリーがやって来ると開国を迫られます。
天皇は外国人を恐れ、それに呼応する国民は「尊王攘夷運動」という天皇を後押しする運動を始め、渋沢栄一さんもその中の一人でした。
しかし渋沢栄一さんは、当時江戸幕府15代将軍の一橋慶喜に武士として雇われます。
この幕臣になったことが、その後の渋沢栄一さんに大きな影響を与えたのでした。
幕臣になってからの27歳、慶喜の異母弟である徳川昭武と一緒に、パリの万国博覧会に出向きます。
その時にヨーロッパを視察して回った渋沢栄一さんは、日本にはない先進的な産業や資本主義の経済学を目の当たりにし、感銘を受けたのです。
また、渋沢栄一さんに語学を教えていたのは、ドイツの医師シーボルトの長男だったそうです。
この視察では見聞だけではなく、実際に海外とのコネクションも取り付けていたようです。
その後の渋沢栄一さんの経済活動に大きな影響を与えるヨーロッパ訪問でした。
渋沢栄一さんの功績
このようにして、豊かな家に生まれ、論語を学び、海外視察を経て大きく成長した渋沢栄一さんは、たくさんの大きな功績を残していきました。
日本銀行の開業
ご存じの通り、日本銀行を開業したのです。
日本銀行は、日本で初となる国立銀行です。
当時は「第一国立銀行」と称されていました。
今ではこの銀行が「みずほ銀行」です。
徳川慶喜による大政奉還で、政権は朝廷に返上されました。
その後、渋沢栄一さんは政府に残って、明治政府の役人として働きました。
33歳のときに役人を辞めて、この「第一国立銀行」の総監役となったのです。
「第一国立銀行」は、官営銀行として低金利の融資を行い、日本経済を支えました。
また、この経験により、渋沢栄一さんは地方銀行の設立も多く指導していきました。
こうした渋沢栄一さんの金融機関の創設と整備があったからこそ、今の日本の経済が成り立っているといっても過言ではありません。
だから一万円札になるんですね。
数多くの会社設立
渋沢栄一さんは、銀行だけではなく、数多くの会社も設立してきました。
なんとその数は500社以上と言われ、「日本資本主義の父」と呼ばれているのです。
設立に関わった主な会社としては、「東京海上日動」「東京ガス」「東洋紡」「東京証券取引所」などです。
多くの社会活動
渋沢栄一さんは、多くの社会活動もされていました。
例えば、教育に携わることでもたくさんの功績を残しています。
「国を豊かにするには、利益を社会へ還元するべきである」と言って、教育の発展にも努めてきました。
以下は、渋沢栄一さんが設立に関わった大学や学校の一部です。
一橋大学、東京経済大学、日本女子大学、東京女学館などです。
特にそれまでは時代背景からも、女子が教育を受ける権利などはほとんどありませんでした。
しかし渋沢栄一さんは日本女子大学を設立し、女性の社会進出に多大な貢献をしたのです。
また、明治維新による生活困難者に対しても、救済のための養育院を設立するなど、貢献しています。
まとめ
いかがでしたでしょうか、ざっくりとしてですが、渋沢栄一さんが日本経済に貢献したことがわかっていただけたかと思います。
そうした背景があって、一万円に印刷されることになったんですね。
子どもに聞かれたら、教えてあげてください。